弥次喜多インド道中膝栗毛 其の五

ちょんまげ英語塾 > へいはちろう放浪記 > インド編その5

サールナート

次は遺跡大好きな拙者の希望でサールナートへ行ったでござる。

ここは仏教の4大聖地の一つで仏陀が最初に説法したとされている場所でござる。日本では鹿野苑として知られているでござるな。知らない人の方が多そうでござるが拙者は手塚治の「ブッダ」を読んで知っていたのでござる。

こういう所に来て歴史のロマンに思いを馳せていると、「世界ふしぎ発見」の音楽がどこからか聞こえてくる様でござる。それがなんとも言えずワクワクするので拙者は遺跡が大好きなのでござるが、喜多さんはあまり興味ないご様子でござった。

ストゥーパ

異常にでっかいストゥーパ(卒塔婆)でござる。

ストゥーパとは日本のお墓の裏にあるなんか良くわからない木製の剣みたいなやつでは無く、元々は仏舎利、つまりはお釈迦様の骨を納めるための塔の事を指すのでござる。

古代のインドでは仏舎利を求める周辺の国から攻め込まれたりとかもして、有名なアショカ王がインド各地に散らばった骨を集めて8万個以上の細かい破片に砕き、各国に分けてこれを治めたそうでござる。

そうまでしても欲しかったのでござろうな、骨を。

実際その骨を納めるために左の写真のような塔が建てられるわけだから。すごい話でござるよな。

電車からの眺め

さて拙者達は次なる目的地のダージリンに向かうわけでござるが、この旅で一番苦労したのは乗り物のチケットの確保でござった。

普通の会話なら誤解があっても笑ってすむけれど、この場合誤解があればまったく違う行き先のチケットを買ってしまう可能性もあるからでござる。しかもちょうとヒンズー教のお祭りの季節だったのでチケットに空きがなく1枚のチケットを買うのに2~3日かかったのでござる。

キャンセル待ちってやつでござるな。この時は夜行で10時間くらいかけて移動するので寝台のチケットが欲しかったのでござるが、結局手に入らず乗車券のみを購入して取り合えず乗り込んでから後で考えようという事になったでござる。

なんとかなるだろうと思ったいたのでござるけど正直甘かったでござる。まずもちろん寝台は全部占領されていて例によって一番安い寝台車なのでインド人しかいない。別にそれは構わないのでござるが、居場所を確保しようとウロウロしていたら一人のインド人が親切にも「ここに座れよ」と全く他人の寝台へ案内してくれたでござる。

よく見ると一つの寝台にだいたい3人座ってるのでござる。つまり、「みんな寝台のチケットが取れなかったから取り合えず乗って他人の寝台に座ってる」のでござる。

すごい国でござる。もしかしたら毎年の恒例なのかも知れないでござるな。一応女性の寝台や家族連れの寝台は一人づつ座ってというか寝ころがっているでござるが、それにしたってこの車両、上下に3台づつ寝台があるので一番上の寝台に座ると天井に頭が付く。とりあえず勧めてもらった寝台へお邪魔して「どっから来たんだ兄ちゃんたち?」「日本からです」みたいな会話をしていると、拙者の座ってる寝台の本来の所有者が「眠りたいからどいてくれ」というような事を言うのでまた別の寝台へ「おじゃまします」って感じで移動するのでござる。

そうこうしている内に夜も更けてくるわけで、徐々に移動可能な寝台が減ってくると上下2段のちょっといい寝台のスペースの荷台へ移動を余儀無くされたりして、結局拙者達もなんとか横になるために床の荷物をどかして廊下にやっと安住の地を手に入れたのでござる。

そうして安らかな眠りについていると突然軍服みたいな服を着て、ライフルを構えたインド人に起こされたでござる。「俺、なにかまずいことした!?」とパニック状態でいると、どうやら「何か盗まれたりしていないか?」と聞いているみたいで、どうやらこの人は列車の中を巡回しているお巡りさんの様でござる。考えてみれば確かに財布の1つや2つは盗まれてもおかしくはない状況ではござるが、とにかくびっくりしたでござる。

ダージリンへの山道

ダージリンへ行くにはまずニュージャルパイグリという変な名前の駅からシリグリというこれまた変な駅に移動して、そこから 「トイトレイン」という世界で一番小さな山岳列車で10時間くらいかけていくか、ジープで約3時間くらいかけて登るのでござる。

当初は世界文化遺産にも指定されているトイトレインに乗って行こう!と言っていたのでござるが、正直今までの移動でへとへとだったので手早くジープでダージリンへ。標高約1500mのこの街に行く途中には落ちたら遺体は収容されなさそうな崖のそばを走ったりもしたでござるが、「普通に座れる」というだけで至極快適にダージリンに着く事が出来たのでござる。

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