弥次喜多インド道中膝栗毛 其の七(最終回)

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泣きまねの拙者

やられたでござる!!

愚かにもクレジットカード、財布、パスポート、つまり貴重品をすべて入れていたボディバックを盗まれたのでござる。

帰国するためにはデリーに戻らねばならないのでござるが、帰りは飛行機で楽をしようと国内線のチケットをダージリンの代理店で買って、その帰りに日本の皆様へ絵葉書を出そうと郵便局へ行き、切手を購入してる時に突然背中に痛みが!

訳もわからず服を脱いで背中の様子をみると、なにやらチクチクする細かいものが背中にたくさんくっついていたでござる。ようやくそれらを払い落として宿に戻ってシャワーを浴びようとして気づくとバッグがない。

「やられた!」と思った時にはすでに遅く、パスポートも無しでは日本に帰ることすらままならぬので宿のオーナーの協力を求めてとりあえずダージリンの警察署へ行き、取調室みたいなところで事情聴取を受けたのでござる。

(この旅で一番「英語が使えなくて困った」瞬間でござる)

インド人警察官と二人っきりで事情聴取を受けながら、「一応語尾にsir」を着けた方がいいのかな?ってのん気な事を考えつつ、「絶対犯罪者としてここには来たくない」と生涯悪事に手を染める事はすまいと心に誓ったでござる。

そして多分二度とパスポートが戻ってこないと思っていたので、対策を講じるためにダージリンから一番近いカルカッタの日本領事館へ電話すると「なんとか自力でこちらまで来い」とのキツイお言葉。なぜなら近いといってもかなり遠い、多分東京~大阪より遠いはずでござる、しかもお金も無くどうやって辿り着けと?

しかし考えてみれば一々アホな観光客の手助けをしている暇も人員も無い訳で、それこそ自己責任でなんとかするのが筋というもの。それなのに「ここまで来れば帰国するための旅費は個人的に貸すからなんとか来てくれ」と言ってくださった領事館員の方、ありがとうございました。無事日本に帰る事が出来ました。

まぁ最悪喜多さんにお金を借りればなんとかなると思っていたので心の中では「生まれて初めて泥棒にあった」事を楽しむような余裕も生まれて来たでござる。むしろ喜多さんの方が心配してくれていたような感じでござった。

結局次の日、喜多さんがお土産を買いに出かけたので一文無しの拙者一人でお留守番をしている時に昨日の警察の方々がやって来て「お前のかばんが市場で見つかった」と拙者のボディバックを持ってきてくれたのでござる。

現金と財布は戻ってこなかったのでござるが、パスポートと帰りのチケットが戻ってきたので帰国に問題は全くなくなり。一安心しながら受け取りの書類にサインをしていると、そこへ喜多さんが戻ってきてパスポートが戻った事を知ると「いままでに見たこともないような安堵の表情」をしたのでござる。思わず周りの警察の方々も「ホッとした様な顔」するくらいの表情でござった。ほんと良い友人を持ったものでござる。

左上の写真はその夜、記念にかばんを盗まれた郵便局の前で撮った写真でござる。くやしい、くやしいと嘘泣きをしてるでござる。

しょうが焼き作る拙者

かばん盗難騒ぎですっかり宿のオーナー家族に世話になって同時に仲良くなった拙者達はせめてのお礼にと台所を借りて日本の料理をふるまう事に、

材料が揃うか心配でござったが醤油が手に入ると言う事なので「生姜焼き」を作ったでござる、もちろん味醂なんかはないでござるが。

しかし豚肉をお願いしたら非常に脂身の多いバラ肉のブロックが、しかも包丁が全然切れない。多分スライスなんて考えが無いのでござろうな、ブロックまたはひき肉みたいな。

また異常に多い脂身を切り分けてたら「日本人は脂身を食わんのか?おいしいのに」と言われたのでござるが「脂身の量にもよる」とは英語で説明出来ないので笑顔で、「食べません」と答えておいたでござる。

料理するインドの人々

翌日お返しにと今度はチベット料理(オーナー家族はチベット系インド人でござる)をご馳走になったでござる。

作っているのはMomo(モモ)と呼ばれる料理で日本の餃子とほとんど同じでござる。中国の水餃子の方が近いでござるかな?もちろんお手伝いしたでござるよ。

チベットの晴れ着

2週間に及ぶインド旅行も残りわずかとなって来たこの日はラマ教(チベット仏教)の元旦にあたる日らしく「寺院にお参りに行くから一緒に来い、同じ仏教徒だろう?」と幸運にもラマ寺院に連れてってもらう事になったでござる。

行く先々の文化や信仰には敬意を表すものでござるよな、実はこの宿についた日にこの家族の仏壇(金ピカ)にお祈りをさせてもらっていたのでござる。

左の写真はチベットで言う晴れ着でござろうか。家族全員の写真を掲載出来なくて残念でござる。ちなみに寺院の写真は敬意を表して撮影していないでござる。

到着までにダージリンからジープで5時間ほど、途中ネパールとの国境のそばを通るのでござるが山道で危ないからとオーナーは拳銃を携帯していて普通に怖かったでござる。

ラマ寺院につき、何を言っているのかわからないでござるが有難い説法を聞き、ラマ僧にお祈りをしてもらい、帰りにお土産としてダライ・ラマのバッチをもらったでござる。インド旅行の最後の最後で素敵な思い出が作れて本当にラッキーでござった。

遠くにエベレスト

左の写真はまったくわからないでござろうが、ダージリンからの帰りの飛行機で「エベレスト(チョモランマ)」が見えたので撮影したのでござる。

色々とあったインド旅行でござるが無事日本に帰ることが出来て何よりでござった。かばん盗まれたのもいい思い出でござる。

このページを作っている現在はこの旅行から数年たっているのでござるが、いつかまたこうした旅をしたいものでござる。ただもう英語での会話が普通に出来る様になってしまったので、なんか退屈しそうでござるよな。次は出来ればイスラム圏か中南米に行きたいでござる。

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