学問のすすめを英訳 初編
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学問のすすめを翻訳したでござる。このページには初編の内容を掲載しているでござるよ。
原文
段落一
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働を以て、天地の間にあるよろずの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして、各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明なり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。又世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人と云う。都て心を用い心配する仕事はむずかしくして、手足を用ゆる力役はやすし。故に医学、学者、政府の役人、又は大なる商売をする町人、夥多の奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者と云うべし。身分重くして貴ければ、自からその家も富で、下々の者より見れば、及ぶべからざるようなれども、その本を尋れば、唯その人に学問の力あるとなきとに由て、その相違も出来たるのみにて、天より定たる約束にあらず。諺に云く、天は富貴を人に与えずして、これをその人の働に与る者なりと。されば前にも云える通り、人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
段落二
学問とは、唯むずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。これ等の文学も自から人の心を悦ばしめ、随分調法なる者なれども、古来世間の儒者、和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべき者にあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて、親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり。されば今斯る実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、イロハ四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進て学ぶべき箇条は甚多し。地理学とは日本国中は勿論、世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働を知る学問なり。歴史とは年代記のくわしき者にて、万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたる者なり。修身学とは身の行を修め、人に交り、この世を渡るべき天然の道理を述たる者なり。是等の学問をするに、何れも西洋の飜訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名にて用を便じ、或は年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事に就き、その物に従い、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に士農工商各その分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。
段落三
学問するには分限を知る事肝要なり。人の天然生れ附は、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば、我儘放蕩に陥ること多し。即ちその分限とは、天の道理に基き、人の情に従い、他人の妨を為さずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘との界は、他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費して為すことなれば、仮令い酒色に耽り放蕩を尽すも、自由自在なるべきに似たれども、決して然らず、一人の放盪は諸人の手本となり、遂に世間の風俗を乱りて人の教に妨を為すがゆえに、その費す所の金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。又自由独立の事は人の一身に在るのみならず、一国の上にもあることなり。我日本は亜細亜洲の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交を結ばず、独り自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより、外国交易の事始り、今日の有様に及びしことにて、開港の後も色々と議論多く、鎖国攘夷などゝやかましく云いし者もありしかども、その見る所甚だ狭く、諺に云う井の底の蛙にて、その議論取るに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、情合相同じき人民なれば、こゝに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互に相教え、互に相学び、恥ることもなく、誇ることもなく、互に便利を達し、互にその幸を祈り、天理人道に従て互の交を結び、理のためには「アフリカ」の黒奴にも恐入り、 道のためには英吉利、亜米利加の軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては、日本国中の人民一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さゞるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。然るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷狄々々と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめ、これを嫌らい、自国の力をも計らずして妄に外国人を追い払わんとし、却てその夷狄に窘めらるゝなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて云えば天然の自由を達せずして、我儘放蕩に陥る者と云うべし。王制一度新なりしより以来、我日本の政風大に改り、外は万国の公法を以て外国に交り、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは、開闢以来の一美事、士農工商、四民の位を一様にするの基、こゝに定りたりと云うべきなり。 されば今より後は日本国中の人民に、生れながらその身に附たる位などゝ申すは先ずなき姿にて、唯その人の才徳とその居処とに由て位もある者なり。譬えば、政府の官吏を粗略にせざるは当然の事なれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳を以てその役義を勤め、国民のために貴き国法を取扱うがゆえ、これを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道に御茶壷の通行せしは、皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避る等、都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ、上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟是等は皆法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、唯徒に政府の威光を張り、人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威と云うものなり。今日に至りては、最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むることなく、その路を求め、その筋に由り、静にこれを訴て、遠慮なく議論すべし。天理人情にさえ叶う事ならば、一命をも抛て争うべきなり。是即ち一国人民たる者の分限と申すものなり。
段落四
前条に云える通り、人の一身も一国も、天の道理に基て不覊自由なるものなれば、若しこの一国の自由を妨げんとする者あらば、世界万国を敵とするも恐るゝに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば、政府の官吏も憚るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、何れも安心いたし、唯天理に従て存分に事を為すべしとは申ながら、凡そ人たる者は夫々の身分あれば、亦その身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備んとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには、字を学ばざるべからず。是即ち学問の急務なる訳なり。昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並るの勢に至り、今日にても三民の内に人物あれば、政府の上に採用せらるべき道既に開けたることなれば、よくその身分を顧み、我身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐むべく亦悪むべきものはあらず。智恵なきの極は恥を知らざるに至り、己が無智を以て貧究に陥り、飢寒に迫るときは、己が身を罪せずして妄に傍の富る人を怨み、甚しきは徒党を結び、強訴一揆などゝて乱妨に及ぶことあり。恥を知らざるとや云わん、法を恐れずとや云わん。天下の法度を頼てその身の安全を保ちその家の渡世をいたしながら、その頼む所のみを頼て、己が私欲の為には又これを破る、前後不都合の次第ならずや。或は遇々身本慥にして相応の身代ある者も、金銭を貯ることを知りて子孫を教ることを知らず。教えざる子孫なれば、その愚なるも亦怪むに足らず。遂には遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少からず。斯る愚民を支配するには、迚も道理を以て悟すべき方便なければ、唯威を以て畏すのみ。西洋の諺に、愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自から招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今、我日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮に人民の徳義今日よりも衰え、尚無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、若し又人民皆学問に志して、物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府の法も尚又寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、唯人民の徳不徳に由て自から加減あるのみ。人誰か苛政を好て良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮を甘んずる者あらん、是即ち人たる者の常の情なり。今の世に生れ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思を焦すほどの心配あるにあらず。唯その大切なる目当は、この人情に基きて先ず一身の行いを正し、厚く学に志し、博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政を施すに易く、諸民はその支配を受て苦みなきよう、互にその所を得て、共に全国の大平を護らんとするの一事のみ、今余輩の勧る学問も専らこの一事を以て趣旨とせり。
端書
この度余輩の故郷中津に学校を開くに付、学問の趣意を記して、旧く交りたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或人これを見て云く、この冊子を独り中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せば、その益も亦広かるべしとの勧に由り、乃ち慶応義塾の活字版を以てこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。
明治四年未十二月
福沢諭吉
小幡篤次郎記
現代語訳
段落一
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。それは天が人間を創造した時には、全ての人間が平等で生まれながらに身分を差別される事もなく、万物の霊長として自分の体と心を働かせてこの世のありとあらゆる物を利用し、それらによって衣食住を満たして、自由自在に、お互いの邪魔をしない限りそれぞれが安楽にこの世で暮らしていけるようにしてくれたという事である。
しかしながら今、この人間世界を観察して見ると、賢い人もいれば愚かな人もいる。貧しい者がいれば裕福な者もいる。身分の高い者がいれば身分の低い者もいて、まるで雲泥の違いを生じているのは何故だろうか。
その理由は非常にはっきりとしている。実語教という名の書物に「人は学ばなければ知恵がつかない、知恵の無い者は愚か者である」という言葉がある。つまり賢い人と愚か者の区別は、その人が学んだかどうかによって決まる事なのだ。またこの世には難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。難しい仕事をする人を身分の高い者とみなし、簡単な仕事をする人を身分の低い者とみなしている。頭を使う仕事は難しく、体を動かす力仕事は簡単である。だから医者、学者、政府の役人、大きな商売をする町人、たくさんの使用人を使う大農家などは、身分の高い偉い人と言う事ができる。
身分が高くて偉いという事であればその家も自然と裕福になり、身分の低い方から見てみれば到底手の届かない存在の様に見える。しかしその原因を探ってみると、ただその人に学問が備わっているか否かによって違いが生じただけに過ぎず、天が生まれつきの宿命として定めた事ではない。西洋にことわざにも「天は富貴を人に与えるのではく、その人の働きに与える」というのがあるが、すでに私が上で述べた通り、人間には生まれながらの身分や貧富の差というものは存在しない。ただ学問を通じて物事の道理に通じた者が身分が高く裕福となり、学の無い者が貧しく身分の低い者となっているのだ。
段落二
ここで言う学問とは、ただ難しい字を知って、解りにくい昔の本を読み、和歌を楽しんで自らも詩を作るなどという、世間一般で言うような実用性の無い学問の事を言っているのではない。確かにこれらの学問も人々の心を楽しませ、役に立つ事もあるが、昔からの儒学者や国学者たちが言うほどにありがたがるものでもない。
昔から漢学者には生計を立てる事が上手な者は少なく、和歌が上手で商売も上手という町人も少ない。そんな事だから心ある町人や百姓には、自分の子供が学問に一生懸命に励むのを見て、やがて財産をすべて失ってしまうのではないかと親心から心配する者までいる。これは無理もない事だ。つまりはそれらの学問が実用には役立たず、日常生活で使い物にはならないという良い証拠である。
ならばこうした実用性に乏しい学問はとりあえず後回しにして、今一生懸命に学ぶべきなのは日常の生活で役立つ実学である。例えば、いろは四十七文字をまず習って、手紙の書き方、帳簿のつけ方、算盤の稽古、天秤の使い方を覚えるなど、学ぶべき事はとても多い。
地理学とは日本全国はもちろん、世界中の国々の風土を学ぶ学問である。物理学とはこの世の全ての物事の性質を見て、その働きを知る学問である。歴史学とは年代記をより詳細にしたもので、過去から現在に至るまでの世界の動きを研究するものである。経済学とは一人の人間、一つの家庭の家計から世界全体の金の流れまでを説明するものである。修身学とは行動の仕方や、人との付き合い方や世間での振る舞い方の道理を述べたものである。
これらの学問をするにあたっては、いずれも西洋の原文の翻訳書を調べ、できるだけ難しい漢字を使わず優しい言葉を使い、あるいは若くして学問の才能がある者には西洋の原書を直接読ませて、それぞれの学問で事実を大事にし、客観的な事実に従い、身近な物事の道理を追及して今現在必要とされている目的を達成すべきである。
このような学問は人間ならば普通に知っておくべき実学であり、人ならば身分の上下に関係なくみんなが身につけるべき教養である。これらの教養が備わった上で士農工商のそれぞれが自分の責務を果たし、それぞれの家業を営んで、一個人が独立し、一家が独立すれば、それでこそ国家も独立する事ができるだろう。
段落三
学問をするにあたっては責任を知る事も大事である。人が生まれた時には何に束縛される事もなく、男は男、女は女として、それぞれが自由であるけれども、ただ自由だけを主張して責任がある事を知らなければ、わがまま放題になってしまう。その知るべき責任とは、天の道理に基づいて人の情に従い、他人の迷惑にならない範囲で自らの自由を得るという事である。
自由とわがままの境界線は、他人の迷惑になるかどうかという点にある。例えば自分の稼いだ金を使ってする事ならば、酒や女遊びに溺れてやりたい放題やってもそれはその人の自由だと思うかも知れないが、決してそうではない。ある人がやりたい放題すればその真似をする者も現れて、ついには世の中全体の風紀を乱し人々の教化の妨げにもなるので、たとえ自分の金を使ってする事であってもその罪は許される事ではない。
また自由独立というのは個人の事だけでなく国家においても言える事である。日本はアジアの東の島国であって、古来より外国とは国交を結ばず、自国の産物を頼りに自給自足をしていたが、嘉永年間(1848-1854)にアメリカ人がやって来て外国との交易が始まり今日に至る。開国開港の後でも色々と議論があって、鎖国や攘夷などと口やかましく唱える者たちもあったけれども、これはとても狭い了見で、ことわざに言う「井の中の蛙」そのものであるから、そんな者たちの意見は取るに足らない。
日本も西洋諸国も同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、同じ人情の通い合う人間同士であるから、こちらで余ってる物をあちらに渡し、あちらで余っている物をこちらにもらって、お互いに教え学び合って、恥じる事も威張る事も無く、互いに便宜を計らい、互いの幸福を祈り、天の理と人の道に従って交際し、理のためにはアフリカの黒人奴隷に対しても恐れ入り、道のためにはイギリスやアメリカの軍艦ですら恐れず、国家がはずかしめられた時には、日本国中の人民が一人残らず命を懸けて国の威信を守る事こそ、一国の自由独立という事なのだ。
それなのに中国人みたいに他の国など存在しないかの様に思い上がり、外国の人間を見れば野蛮人と呼んでまるで動物のように見下して嫌って、自分の国の力も知らずに外国人を追い払おうとしてかえってその野蛮人に苦しめられるという様な始末は、国家の身の程を知らず、個人に言い換えれば天から与えられた自由を勘違いしてわがまま放題に陥っている様な者と言えるだろう。
王政復古、明治維新より以降、日本の政治は大いに様変わりし、外交では国際法に基づいて外国と交わり、内政では人民に自由独立の方針を示して、すでに平民にまで苗字を与えて馬に乗る事を許可した事は、我が国が始まって以来の素晴らしい事であり、士農工商の四つの身分が同等のものとなる基礎ができたと言えるだろう。
これからは日本の全ての人間に生まれながらの身分の差などはなく、ただその人の才能と人徳と社会的立場によってその地位が決まるのだ。例えば政府の役人を軽んじてはならないのは当然だが、これはその役人自身が尊いのではなく、その人がその才能と人徳によって役職に就き、国民のための尊い法律を扱うからこそその人に敬意を払うのだ。人間が尊いのではなく、国法が尊いのである。
旧幕府の時代、東海道に将軍様御用達の御茶壺を運ぶ一行が通る時には、近隣の住民はその行列を恐れて家に閉じこもったものだ。将軍様の使う鷹は人よりも貴く、幕府の使う馬には旅人も道を譲るなど、御用の二文字さえ付ければ石でも瓦でも全部恐ろしく貴いものの様に見えてしまっていた。世の中の人々もはるか昔からこうした事を迷惑に思ってはいたが、一方でその事にすっかり慣れてしまっていて、身分の高い者も低い者も互いに見苦しい風俗を作り出していたのだが、結局これは幕府の法が尊いわけでも、それらの品々が尊いわけでもない。ただいたずらに政府が威張って、人を脅してその自由を妨害しようとする卑怯なやり方で、なんの意味もない空威張りでしかなかったのだ。
しかし今日に至っては、もはや日本全国にこの様な浅ましい制度や風俗は存在しないはずであるから、人々はみな安心して、もし政府に対して不満を抱くような事があれば、これを心に隠して政府に対する恨みを抱くのではなく、筋道に従って静かにそれを訴えて、遠慮する事なくその是非を議論すべきである。それが天の理と人の情にかなうものならば、命を懸けても争って主張すべきだ。これこそ国家の民としての責任である。
段落四
既に述べた通り、一人の個人も一つの国家も、天の道理によって何者にも束縛されず自由なものであるから、もし国家の自由を妨げようとする者があれば世界中の国々を敵に回しても恐れる必要はないし、個人の自由を妨げようとする者があれば政府の役人に対しても遠慮する必要はない。まして現在では士農工商の四つの身分が平等という基本ができたのだから、安心してただ天の道理に従って思う存分行動すると良い。しかしながら、人間である以上それぞれに社会的役割というものがあるから、その役割に見合った能力と人徳を身につけなければならない。能力と人徳を身につけるには物事の道理を知らなければならず、物事の道理を知るには学問をしなければならない。だから現在学問が緊急に必要とされているのである。
近頃の様子を見ると、農工商の三つの身分は以前に比べて百倍も地位が上がり、士族と肩を並べるほどの勢いがある。これら三つの身分であっても能力と人徳に優れていれば、政府に採用される道も開けている。だからその社会的役割をよく考え、自らの責任の重さを自覚して、卑劣な事はしないようにしなければならない。
およそこの世の中で学の無い民衆ほど哀れで憎むべきものはない。知恵の無いのが極まると恥を知らなくなり、自らの無知によって貧乏になる。そして飢えと寒さに苦しむようになると、自ら反省をせずにいたずらに金持ちを恨んだり、ひどい者になると集団で暴動を起こしたり略奪に走ったりする。これは恥知らずな行為であり、法を恐れぬ行為である。世の中の法律を頼りにその身の安全を保って生活を営んでいながら、頼る時だけはありがたがって、自分の欲望のためには平気でその法を破るとは、矛盾していないだろうか。
また家柄の良い家に生まれてそれなりの財産を持ってる者も、貯蓄をする事だけ知っていながら自分の子や孫を教育することを知らないでいる。教育を受けなかった子供達が愚か者に育ったとしても不思議な事ではない。そして遊びほうけてやりたい放題するようになり、代々受け継いできた財産を失ってしまう者も少なくない。
こうした愚かな民衆を支配するには、道理をもって教え諭すことはとても無理なので、威圧して脅して支配するしかない。西洋のことわざで言う「愚かな民の上には厳しい政府がある」とはこの事である。これは政府が厳しいのではなく、愚かな民衆が自ら招いた災いなのだ。そして愚かな民の上に厳しい政府があるならば、良い民の上には良い政府がある、という理屈となる。今この日本においても、この水準の国民があるから、この水準の政府があるのだ。
もし仮に国民の道徳の水準が下がって、より無学になる事があったら、政府の法律もより厳しいものとなるだろう。もし反対に国民全てが学問を志して、物事の道理を知って文明を身につけるようになれば、政府の法律もより寛大なものとなるだろう。法律が厳しかったり寛大であったりするのは、ただ国民に人徳があるか否かによって変化するものなのである。厳しい政治を好んで良い政治を憎む者など誰も居ない。自分の国が豊かになり強くなる事を望まない者など居ない。外国から侮りを受ける事をよしとする者もいない。これらは人として当然の感情である。
今の世の中に生まれて国家に報いようとする者は、何も思い悩んで苦悩する必要などない。大切な事は、人としての感情に基づいてまず自分の行動を正しくし、熱心に学び、広く知識を得て、それぞれの社会的役割に応じて知識や人徳を身につける事だ。そうすれば政府は政治をしやすくなり、国民はその支配で苦しむ事もなくなり、お互いに責任を果たして、一緒になって国家の平和を守っていく事ができる。今私が勧めている学問というのも、ひたすらこの事を目的としているのである。
端書
このたび我々の故郷である中津に学校を開くにあたり、古い付き合いの同郷の友人のために学問の目的を記して一冊にまとめたのだが、ある人がこれを見て、「この本は中津の人だけに見せるのではなく、広く世間の人々に見てもらった方がより世のためになる」と勧めてくれたので、慶應義塾にあった活字版によって印刷し、同じ志を持つ人々にも見てもらう事にした。
明治四年(1871年)十二月
福沢諭吉
小幡篤次郎記
英訳文
Paragraph 1
They say, "Heaven did not create a man above or below another man." It means that Heaven created all human beings equal and there was no difference among people. As the lords of creation, they could use all things in the world by exercising their own body and brain for their clothing, food and housing. Freely, unless they bother others, they could live comfortably. That's what Heaven created.
But now, observing human societies, there are the wise and the foolish, the poor and the rich, the noble and the plebeian. What does make these differences?
It's obvious. The book named Jitsugo-kyou says, "A man cannot have wisdom without learning. A man without wisdom is foolish." In other words, the difference between the wise and the foolish depends on how they learned. And there are difficult work and easy work. People consider a person who does difficult work as the upper class and a person who does easy work as the lower class. The work using brain is difficult and the work using body is easy. So you can say that doctors, scholars, governmental officers, merchants who do big business and farmers who hire many peasants are the upper class.
If you are the upper class, you can be rich spontaneously. And from the lower class people's view, you seem far beyond their reach. But there is nothing but learned wisdom in the difference between your and their ability. Heaven did not set up the difference. As a proverb says, "Heaven does not give fortune to a man, but to a man's workings." And as I have already said, there is no natural difference among people. A person who learned well and has wisdom can be the upper class and rich, and a person who did not learn and has no wisdom become the lower class and poor.
Paragraph 2
Learning does not mean practically useless studies, such as only to learn difficult kanji characters, to read difficult old books, to enjoy waka poems or to compose poetry. These studies are entertaining and sometimes useful. But they are not so valuable as Confucians and Kokugaku scholars say.
There are few scholars of the Chinese classics who are good at livelihood and townspeople who are good at both waka poetry and business from old times. So thoughtful townspeople and farmers are worried about their children, that they may lose their property by learning too hard. We cannot blame them. This is a good evidence that those studies are practically useless in daily life.
So you have to learn practical sciences that are useful in daily life now and leave useless studies until later. For example, you have to learn 47 hiragana characters at first. Then letter writing, accounting, calculation and how to use a balance. You have a lot of things to learn.
Geography is a science to guide not only Japan but also natural features of all countries in the world. Physics is a science to study all phenomena in the world and to know those workings. History is a science, as it were more detailed Chronology, to study the world's transition from past to present. Economics is a science to explain from a person's and a family's budget to the money flow around the world. Moral science is a science to learn how to behave, how to associate with others and how to conduct yourself in society.
When you learn these sciences, you have to consult translations of original western books, use easy words instead of difficult kanji characters, make talented young people read original western books, value facts in each science, follow objective facts, pursue reasons of your near affairs and accomplish your purpose in need now.
These are practical sciences and common knowledge that all people should learn regardless of one's status. After you learn them and fulfill your obligations according to your each status, a person, a family and a nation can be independent.
Paragraph 3
It is important to know obligations when you learn. When you were born, you were not restricted by anyone. As a man or a woman, everyone is free. But if you don't know that you also have obligations, you will become selfish. The obligations are, that you have to be based on Heaven's reason, follow humanity, and obtain your freedom without bothering others.
The border between freedom and selfishness is whether you bother others or not. Perhaps you think it is your freedom to indulge in debauchery and waste your own money. But it is wrong. If you did such a thing, others would imitate you, then they would corrupt public morals and obstruct the civilization of the people. So you don't have the right to do such a thing even if you have money.
Freedom and Independence are not only for individuals but also for nations. Japan is an island country of east Asia, and had been isolated and self-sufficient from old times. But in the Kaei period (1848-1854), Americans came to Japan and began trade with us. Even after the opening of the country, many people were advocating isolationism and exclusionism. But they were just narrow-minded, as the proverb says “The frog in the well doesn't know the ocean.” We don't have to listen to such people.
Japan and Western countries are between the same Heaven and Earth, bask in the same sun, look up the same moon, and share oceans and the atmosphere. As human beings we can understand each other. So we should give them our surplus and get their surplus, teach and learn each other. We don't have to be ashamed or arrogant. We should cooperate with them and pray for them each other, associate with them by following Heaven's reason and humanity, yield to even black slaves if they have reasonable grounds, and not yield to even English or American battle ships if they are against humanity. If they dishonored our country, all Japanese people should stand up for national prestige at the risk of our lives. This is the national freedom and independence.
Chinese people are arrogant as if there were no other countries. They call foreign people “barbarians” and look down them as if they were not human being. They don't understand their national strength and are trying to get rid of foreign people. But they are suffered from foreign people by contraries. They don't know their place. In other words for individuals, they misunderstand their freedom and have been selfish.
After the Meiji Restoration, Japanese politics has extremely changed. The government has relations with other countries with international law, and governs the country with the policy of freedom and independence. The government has already allowed the commoners to have a family name and ride a horse. This is a brilliant achievement since the beginning of this country. It helps us to unite the four categories of the people, warriors, farmers, artisans and tradesmen.
From now on, all Japanese people are equal and you can achieve status with your ability, virtue and business. For example, it's natural that you should not make light of government officials. This is not because they are noble, but because they have gained their position with their abilities and virtue, and manage the national law for the people. We should respect them not for themselves, but for the national law.
In the Edo period, when the procession transporting tea for the Shogun went along the Tokaido, neighborhood residents shut themselves up in their home with fear. Shogun's hawk was nobler than people and travelers had to give way to Shogunate's horses. People were afraid of even stones and tiles if those were used for Shogunate. People had thought that these were a nuisance from old times, but on the other hand, they had got used to them. These ugly custom had been made by both high and low class people. They did not respect either Shogunate's law or those goods. It was just because Shogunate was arrogant, threaten its people and restricted their freedom. It was a cowardly way and meaningless bravado.
But nowadays, these shameful custom must no longer exist in Japan. So people should trust the government. If you are displeased with the government, you should not hide your grievance and should not have a grudge against it. You should appeal peacefully and argue the right and wrong of the matter. If your claim meets Heaven's reason and humanity, you should assert it at the risk of your life. These are obligations as the people of a nation.
Paragraph 4
As I said before, a man and a nation are free. If there are countries that violate national independence, you don't have to be afraid of even all countries around the world. If someone violates your freedom, you don't have to be afraid of even governmental officers. Four categories of the people are equal now, so you don't have to be worried and you can do as you wish, as long as you follow Heaven's reason. But everyone has their position and must have proper ability and virtue for each position. If you want to improve your ability and virtue, you have to know the reasons of things. If you want to know the reasons of things, you have to learn. This is the reason that learning is urgently required now.
Recently, positions of the people of three categories, farmers, artisans and tradesmen, have been raised hundred times, and some of them rival warrior class now. If you have enough ability and virtue, you can become a governmental officer. So you have to consider the position, know your responsibilities and must not perform evil deeds.
Ignorant people are the most pitiful and nuisance in the world. They have no shame because they have no wisdom. They become poor by their ignorance. When they suffer extreme poverty, they blame the rich instead of themselves. Some of them riot and plunder in a group. This is a shameless act against law. Although they live peacefully under the protection of the law, when it becomes inconvenient, they violate the law for self-interest. This is inconsistent, isn't it?
Even rich people from a good family only know saving money and don't know educating their children. There is no wonder those uneducated children become foolish. In due course, a lot of them indulge in dissipation and become bankrupt.
To rule the ignorant people, you cannot lead them by reason, you have to threaten them by force. The Western proverb says, "There is a severe government over ignorant people." This is not because the government is severe, but because those ignorant people cause the disaster. If there is a severe government over ignorant people, there is a good government over good people. In Japan now, there is this government because there are these people.
If the people's morals degenerated and they became more ignorant, the government would be more severe. On the contrary, if the people learned eagerly and they knew the reasons of things and got sophisticated, the government would be more tolerant. Whether laws are severe or tolerant, depends on whether the people have morals or not. There are no people who like severe laws and dislike good government. There are no people who don't hope that their country become rich and strong. There are no people who willingly accept an insult from foreign countries. These are natural feelings for people.
If you aspire to serve the country now, you don't have to be anguished or worried. The important things are, to behave righteously with humanity, to learn eagerly, to have broad knowledge and to acquire wisdom and virtue according to each position. If so, the government would govern the country easily, the people would live peacefully, and they would fulfill their obligations to each other and keep the national peace together. This is the ultimate purpose of learning, that I am encouraging now.
Postscript
When we established a school in our hometown Nakatsu, we wrote the purpose of learning for our old friends. Someone read it and proposed, "You should publish this booklet not only to the people of Nakatsu, but also to the Japanese public. If so, it will benefit more people." Thus we printed this book with a letterpress printing machine at Keio Gijuku, for the people who have the same ambition with us.
December, 1871
Fukuzawa Yukichi
Obata Tokujirō
Translated by へいはちろう